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函館山の麓、谷地頭にある碧血碑。 旧幕府軍戦没者の慰霊碑。 今年は函館を含め、開港150周年を記念する港湾都市が幾つかある(年数については異論がある街も)。 横浜が一番熱心で、函館はそれに引き摺られて些か仕方なしに記念事業を始めたきらい無しとは云えないが、やる以上は費用対効果が最大限に得られるものにしなければならない。 函館は“観光都市”という側面が強いわけだから、近年減少気味の観光客誘致の起爆剤にする、というのが税金の使い方としては最優先されるべきだろう。 しかし、対外PRの姿勢は全くなっていない。 例えば、記念事業サイトを横浜のと見比べれば一目瞭然だ。 函館のサイトは極論すると、身辺雑記の個人日記ブログに毛の生えたようなもの、と思われかねない。 世界中、日本中の人に観られて耐えるもの、という前提の編集方針がないからだ。 ボランティアの編集・取材スタッフなので文句が云い難いが、そもそもの基本方針が間違っている。 今からでも修整するべきだろう。 先ず、英文でも観られるようにすること。 そうすると、記事の内容も自ずと整理されるだろう。 そういうことで、今年は戊辰戦争、明治維新、開港の意義をもう一度自分なりに考える年にしてみたい・・・ ・・・なんちゃって・・・ 旧幕臣、中島三郎助の慰霊碑。税務署が直ぐ近くに。 息子二人とこの地で戦死したことになっている。 此処は、その姓をとって中島町と名付けられた。 この三郎助さんという方は少し興味深い人で、ペリーの航海記にも幕府側役人の一人として名前が出てくる。 この時期、既に周りの人間に比べると高齢だったが(皆若かった!)、進取の気概に富んだ人物で、榎本武揚にも(年下だったが)多くを学んだようである。 ・・・余談だが・・・所謂、官軍側が進歩派で、幕府側が守旧派とは一概に言えない。 当初、薩長、朝廷は“攘夷”なんてことで内戦を始めたわけだし・・・ 後年、不幸な戦争に突き進んだ一因は此処にもあっただろう。 この辺の事情は何時の時代も同じなようだ。 今国会でも、“構造改革”は間違いだった、という論調があるが、それは、その時期にはやはり必要だったのではないか。 経済は生き物だから、時の移り変わりとともに必要な事が或いは変わり、或いは増える、ということではないか。 前の通りやっていれば良いということではないだろう。 一部の野党の云う通りにやっていたら、日本はとっくに潰れていたに違いない。 この変動が激しい時代に、世の変化を機敏に捉え、必要な手を打つ、というのは本当に大変な事だ。 土方歳三の慰霊碑。 若松町、総合福祉センター内。 此処に五稜郭と隔てる柵があったというのだが。 1月8日(木)18:45〜函館市芸術ホール “庄司紗矢香&イタマール・ゴラン デュオ・リサイタル” シューベルト:ソナチネ第3番 ト短調 Op.137−3,D.408 ブロッホ:ヴァイオリン・ソナタ第1番 ドルマン:委嘱新作 ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番 ハ短調 Op.30−2 何時ものように目が覚めたが、其処は見慣れた寝室では無かった。 無機的なほどに簡素で固い寝台・・・ 明るい・・・ランプではない白い光・・・ 部屋を見渡すと、西洋風にしても奇妙な様子だ・・・ 殺風景な壁に、計器が並ぶ金属の大きな筐体。 視界に人間・・・男・・・が入ってきた。 坊主頭のいかがわしそうな奴だ・・・ 「お目覚めですか?」 「私に聞いているのかね? それでは教えてくれるかな。 此処は何処で君は誰かね」 「説明するのは些か厄介なんですよ、榎本さん」 「私の事は知っている訳だ」 「蝦夷共和国の榎本武揚総裁でいらっしゃいますね。 此処に来られる直前の肩書きは・・・未だ・・・」 「その先のことも知っている素振だな」 「ええ、貴方は貴方が思っておいでよりもずっと長生きします。 此処は貴方がお寝みになった五稜郭なんですが・・・信じていただけるか・・・ およそ140年後の日本なんですよ」 「日本・・・どのような国体になったのかね」 「榎本さんたちが此処で実現しようとした民主主義の世ですよ。象徴天皇の下での・・・」 「やはり、幕府は瓦解したのだね・・・まあ、先を急ぐ事もないだろう。 それで、私は何故此処に居るのだね?」 「それはその、此方の都合でしてね。 つまり、何でもありのいい加減なブログだからです。 さあ、榎本さん、ちょっと外の世界を覗いてみませんか?」 この坊主頭と外に出る事にしたのだが、なんと、私が今まで居たのは五稜郭の中にある函館奉行所の地下だった。 百四十年後(だそうだが)に、この奉行所を“復元”とやらしているのだが、その地下に妙な研究施設を作ったらしい。 その実験材料の一人が私だったようだ。 堀に架けた橋を渡ろうとして見上げると、驚くほど高い塔が目に入った。 “五稜郭たわあ”と云うらしい。 塔の下に大広間があり、一体の像があった。 「おお、土方君ではないか。 彼は、この時代では人気者なのだな」 「貴方も、今後更に再評価されますよ。 さあ、此処は“函館市芸術ホール”と言うんです。 今夜は世界的なヴァイオリニストの演奏会があるんですよ。 榎本さんはヴァイオリンを聴いた事がありますか?」 「うむ、オランダに5年程留学しておったときに聴いた事があるよ。 赴く途中、船が座礁してな、やっとの思いでハーグに到着したのだが、 その折の歓迎の宴でピヤノとバイヲリンとやらを聴かされたわい」 「それでは二階席で聴きましょう。 一曲目はシューベルトという作曲家です」 「なんと!可愛ゆらしい女子ではないか・・・」 しかし、その庄司紗矢香とかいう女音曲師の至芸は、西洋音曲に不案内の私にも強い印象を残した。 終了後、坊主頭がこのように云っておったようだ。 ※シューベルトのト短調で始まり、ベートーヴェンのハ短調で終わる。 この流れが素晴らしい。ストーリーを感じさせる。 “愛の嵐”といったような・・・ ※余分な力が抜けた状態からの自然なボウイングが素晴らしい。 ※ブロッホは1880年の生まれだが、榎本さん、貴方はそれより更に28年生きることになる(私はそんなに長生き するのか?)。 この曲は第一次世界大戦(その時には私は既にこの世を去っているそうだが)とかかわりがあるようだが、“戦争 の世紀”を想起させる激しさがある。 “アルテ・ノヴァ”というレーベルでもヴァイオリン・ソナタ全4曲を聴くことが出来る。 今後ますます重要な作曲家になるのではないか。 此処では、ゴラン氏のピアノにこそ耳を奪われけれ、だった。 ※ドルマン氏(30代初めの若手)の新作は全く調性的、メロディアスなもの。 ブロッホ作品と比べてどちらが新しいか解らない。 音楽的にも近似性がある。 ※ベートーヴェンでもゴラン氏のピアノに耳が行った。 ペダルの使用が大変控えめだったので、オーセンティックな楽器を意識されているのか、と本人に確認してみた。 特にピアノフォルテを意識しているわけでなく、時代的な様式を考慮して、ということだそうだ。 ・・・それから、“ぶろっさむ”と申す酒場に行き、麦酒を呑んだ・・・ “ハイネケン”はオランダでも大分呑んだし、蝦夷にも持ち込んで呑んだ。 もう底が尽きそうだが・・・ 「榎本さん、如何でした? 紗矢香さんたちも気持ちよく演奏できたようですね。 沢山のアンコールに答えてくれました。 彼女は、貴方も大いに関係のあるロシアと縁がありましてね。 この間も、貴方が駐露公使として赴任したサンクト・ぺテルブルグのオーケストラと日本で共演したんですよ」 「まさかロスケの間者ではあるまいな」 「ああ、貴方は後年、千島・樺太交換条約で苦労することになるんでしたね。 しかし、今はまだ函館戦争の最中です。 開陽丸も座礁して戦況は芳しくありませんが、貴方が蝦夷地でやった、やろうとした事は決して無駄では無いと思います」 「勿論、蝦夷地で共和国の礎を築かんとするこの志は、日の本の国の遠い将来への布石になるものと思えばこそだ」 ・・・久方振りに旨い麦酒を痛飲したものだ・・・ 「榎本さん、そろそろ元の時代にお戻りになる時間になってきました。 また此方の都合でおいでいただけるでしょうか?」 「厭、と言っても聞きはすまい。 麦酒が呑めるなら、また会おう」 「ご足労おかけしました。 それではまた・・・」 碧血碑撮影後、もっきりや“酒舗古西”で一杯。 函館山麓、谷地頭電停前。 更にその前に、絵画展を観に行った。 知人の小島里子さんの所属するチャーチル会函館。 小島さんの作品を初め、技術的にも整った作品が多い。 が、どうもなんとなく違和感がある。 暫くして気がついた。 かなり、というか殆んどの作品がガラス付きの額なのだ。 普通、展覧会へ出品する絵をガラス越しに見せるだろうか? 更に云えば、素人にしては多少上手にしても、 ガラスで保存するほどのものかっての。 スノッブ極まれり、だなあ・・・ 小島里子「Grand Canyyonの空」 これは幸いにもガラス無しの額。 |
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庄司紗矢香は話す声の低さに驚きます。 |
くま吉 2009/01/13 10:16 |
3月の札響も、もう一人の注目ヴァイオリニストですね。 |
たかさごや 2009/01/13 19:30 |
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